鍵を二回まわした
閉店の札を出したあとも、その人だけが帰らなかった。グラスの氷は、とっくに水になっていた。カウンターに置いた手には、指輪がはまったまま、ぬるく光っていた。外さないところが、いちばん、ずるいんだよね。
「送るよ」と言われて、送られるほど若くはない。でも、階段の踊り場で首のうしろに手が来たとき、まとめた髪が、ひとふさ、ほどけた。煙草をやめて四年になるのに、その人の上着にしみた煙のにおいを、わたしは深く吸いこんでいた。吸ったのは、煙だけじゃなかった、たぶん。背中に、古いタイルの冷たさ。口の中に、さっきわたしが注いだウイスキーの味が戻ってきた。自分の店の酒で酔う女。安いにもほどがある。
「奥さんのほうには、なんて言うの」と聞いたら、その人は、すこし笑った。
その笑いかたで、目がさめた。ああ、この人は何回目かなんだ。わたしは、何人目かなんだ。タクシーを止めて押しこんで、ドアが閉まるまで、手を振ってやった。愛想のいい、雇われママの顔で。
部屋に帰って、鍵を二回まわした。一回でいいのに。シャワーで、首のうしろを何度もこすった。皮が赤くなっても、あの指の温度だけが落ちない。クソみたいな男だ。家に帰れば、寝ている子どもに布団でもかけるんだろう。同じ指で。
でも、もっとクソなのは、わたしのほう。来週あの人が来たら、わたしはたぶん、いつもの席をていねいに拭いて、待っている。
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