安い朝
先週の金曜、閉店のあと、いつもの男が残った。
自営の人で、指輪の跡だけ白い。話は長いのに、中身がない。ボトルの名前と、車の値段と、昔の羽振りの話。見栄を背負って歩いている人なんだよね、たぶん。値段が読めないのは本人だけで、わたしには、ぜんぶ読めた。クソみたいな安さだった。ほんとうに。
それなのに、わたしは鍵を閉めたあと、並んで歩いた。散歩のはずだったのに、いつのまにか、あの人の部屋の廊下に立っていた。理由はいくつか数えられる。ここしばらく、誰の体温にも触れていなかったこと。母の団地の帰りに、寒い風が首すじに入ったこと。それと、あの人の手が大きかったこと。打算と呼ぶには、あまりに雑な理由だった。
暗い部屋で、ワイシャツの袖口から煙草の匂いがして、わたしはやめたはずの煙を、また吸っていた。息が重なって、背中の汗がシーツにはりついて、肩こりのひどい肩を、あの人は何も言わずに、ゆっくり押した。そこだけは、上手だった。腹が立つくらい。皮膚が先に、ほどけてしまう。頭のほうは、最後まで、冷めたまま見ていた。この人の話はほんとうに退屈だ、と。
朝は、カーテンのすきまが白かった。寝息は、思ったよりやさしかった。ぬかのごはんのことを考えて、靴を探して、ベッドの端で、ストッキングをはいた。名前を呼ばれたけれど、振り向かなかった。
帰り道、わたしは自分に言った。安い男を安いと思いながら、あたたかさだけは、ちゃっかり持って帰ってきた。どっちが安いのか、たぶんもう、わかっている。
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