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市民ブログ » 深夜二時のプリン

まよなか

靴下を片方、知らない部屋に置いてきた

· カテゴリ: 日記・雑記

大学の友達の、結婚式の二次会だった。新婦に「沙耶もはやく幸せになってね」って、上から花束で殴られた。おめでとう、って三回言った。三回とも口の中が鉄の味。

ブーケトス、前から二列目にいた。いたって何。いたんだわ。司会の「独身の女性のみなさーん」に、足が勝手に前に出た。七センチのヒールで。普段ぺたんこのスニーカーしか履かない女が。ブーケはあたしの指先をかすって、うしろにいた新婦の会社の後輩の、二十三歳くらいの子の胸にすぽっと落ちた。その子、「えーっ」って言いながら、ちゃんと嬉しそうだった。かわいかった。殺意わいた。

ドレスは、二年前の高校の親友の式で着たのと同じ紺のやつ。友達グループが違えば着回せるっていうの、独身のいちばん悲しい特技。あのときもカードの三回払いにして、まだ払い終わってない気がする。気がする、っていうのは、明細を見てないから。ご祝儀三万。引き出物の紙袋には、カタログギフトと、バウムクーヘンと、新郎新婦のイニシャルが入ったタオル。誰が使うのそれ。あたしが使うんだよ。

抜けて、駅のトイレで先輩にLINE。「いま会いたい」。既読、ついた。10分。40分。なし。どうせ春に生まれた娘を抱いて、パパの顔して寝かしつけてんだろ。その指で先月あたしのホック外したくせに。クソが。嫁と並んで階段から転げ落ちて首の骨鳴らせ、って本気で思って、トイレの壁を蹴った。かかとの靴擦れが、そのとき破れた。

……そこまで考えた自分が、普通に無理。

で、アプリ開いた。2時間前にマッチしただけの男。32歳、会社員、「お酒好きです」「休日はサウナ」。プロフ写真は顔の半分がジョッキで隠れてる。名前は、たしか最後が「ヤ」。タクヤかカズヤかシンヤ。いまだに分からない。「今から会える?」に3分で既読。秒で返事くる男、だいたいクズなのに。

30分後、改札の前。

本物は、写真より少しだけ背が低くて、少しだけ普通だった。あたしが最初に見たのは顔じゃなくて、左手。指輪なし。跡もなし。先輩は会社を出ると指輪を外すから、あたしは男の薬指の、日焼けの抜けたところを探す癖がついてる。最悪の特技その二。

「ドレスじゃん。結婚式?」
「そう。友達の」
「おめでたいね」
「それな」

それな、じゃないんだわ。

コンビニで、男は缶チューハイ二本と、ポテチを買った。それだけ。あたしはレジ横で、男の手元を見てた。見てて、何も言わなかった。

ここ、あとでいちばん効いてくるところだから、先に書いとく。あたしは気づいてた。

小雨で湿った髪のまま、知らない部屋。

1K、二階。玄関に、男物のスニーカーが四足。部屋干しのワイシャツが三枚、カーテンレールにぶら下がって、暗い中で首吊りみたいに揺れてた。床に、プロテインの袋。サウナ好きってプロフ、嘘じゃなかったんだなって思った。どうでもいい。

ドレスのファスナーが下りる音が、やけに長かった。

背中の真ん中で、一回、引っかかった。男が「あれ」って言って、もう一回、引いた。布が肌から浮いて、背骨に沿って、冷たい空気がすうっと降りてくる。首のうしろから、肩甲骨のあいだ、腰のくぼみまで。ファスナーの金具が、汗ばんだ肌を引っかきながら通っていく。先輩なら、引っかからない。いっつも、一回で下ろす。

一回目の比較。数えてた。

煙草と安いボディソープの匂い。先輩の柔軟剤じゃない、それだけで泣きそうになるのウケる。ウケてない。

男の唇が、うなじに来た。

髪の生え際の、産毛のあたり。湿った息が先に当たって、そのあとに唇。チューハイのレモンの匂いがした。吸うというより、置いていくみたいなキス。首の横を、耳の下から肩の丸いところまで、ぽつ、ぽつ、と。そのたびに、皮膚の下で小さい虫が走るみたいに、腕の内側に鳥肌が立った。

先輩は、首の付け根を親指で押す。月末の入力で固まってるところを、わざと。この人は知らない。知らなくて当然。会って一時間も経ってない。

なのに、体はちゃんと鳥肌を立てた。

ちゃんと、って何。

ブラのホックは、三回かかった。三回目で、男が小さく舌打ちした。舌打ちって。あたしは自分で手を回して外した。外してやった、っていう顔をしたつもりだった。暗いから、たぶん見えてない。

ベッドは壁ぎわのシングル。倒れたら、マットレスがぼすっと鳴って、スプリングの古い感じが背中に当たった。シーツは、洗ってない匂いがした。男の、一週間ぶんの匂い。普通に無理、なはずのものが、なんでかそのとき、あったかかった。

男の手のひらが、脇腹を上がってくる。

あばらの段差を、指が一本ずつ越えていく。腹のやわらかいところで、一瞬だけ手が止まった。四十七キロだった大学のころにはなかった肉。深夜のプリンとシュークリームで、じわじわ育てた肉。止まった手に、太ってるって思われた、と思って、息を吸って腹を引っこめた。誰に見栄張ってんの。名前も知らない男に。

胸の上を、手のひらが、湿りながら滑っていく。汗が、谷のところに一粒たまって、みぞおちのほうへつうっと伝った。男がそれを舌先ですくった。すくわれたあとが、エアコンの風で冷える。冷えて、皮膚がきゅっと縮む。そこにまた、息。

膝の裏に手が入った。

ヒールで一日立ってた脚。ふくらはぎがぱんぱんで、膝の裏に汗が溜まってた。そこを持ち上げられると、太ももの内側の、日に当たったことのない白いところが、空気にさらされる。剃り残しがある。シャワー浴びてない。朝、式の前に急いで剃ったきり。男の顎の、夜になって伸びてきたひげが、そこにざらっと当たって、くすぐったいのと、そうじゃないのの境目を、何回も往復した。

体の奥が、勝手にゆるんでいった。

うちの会社の倉庫で、止水栓をちょっとだけゆるめると、配管の中で水が動き出す音がする。最初はちょろちょろで、ある回転から先は、もう止めようと思っても指が追いつかない。あれ。あたしの中で、あれが起きてた。温かくて、ぬるくて、ゆっくり溢れて、滴って。男の指がそれに気づいて、「お」って、小さい声を出した。

「お」って何。

腹立った。腹立ちながら、もっと溢れた。この男は悪くない。悪いのは、こんな男の「お」でちゃんと応える、あたしの体。

二回目の比較。先輩は、気づいても声を出さない。黙って、満足そうに息を吐くだけ。あの人の黙り方が、あたしは好きだった。好きだった、って過去形で書いたけど、別に過去になってない。

男が体を起こして、上に来た。

ここで、来た。あたしが気づいてて、言わなかったところ。

枕元に、何もない。引き出しを開ける気配もない。包みの音もしない。コンビニでチューハイとポテチしか買わなかった男は、そのまま、あたしの膝のあいだに来た。

言えば、止まったと思う。この人は、たぶんそういう人。優しくも冷たくもない。言われたら「あ、ごめん」って言って、コンビニに走るくらいはする人。

言わなかった。

先輩の家には、二人目が生まれた。あたしは、いつも自分でドラッグストアで、ポイントつけて箱を買って、ローテーブルの下に置いてる。先輩は持ってこない。持ってきたことない。一回も。それを、あたしは毎回、自分で引き受けてきた。えらいでしょ。誰も褒めない。

だから、今夜くらい、全部どうでもよくなりたかった。

……違うな。書いてて分かった。どうでもよくなりたかったんじゃなくて、自分を、ちゃんと雑に扱いたかった。母が言う「だらしない」を、自分で、最後まで、証明したかった。

ほらね、って言いたかった。誰に。

男が、ゆっくり入ってきた。

息が止まった。肺の上のほうで、空気が引っかかって、降りてこない。男の肩の向こうに、天井。天井に、街灯の光が、窓の雨粒ごとにじんで映ってた。丸い、ぼやけた光が、いくつも。

男が、動き出した。

最初は、ベッドがきしむかどうかの、浅い揺れ。そのうち、きし、きし、と、男のリズムでスプリングが鳴りはじめる。腹と腹のあいだで汗がうすい膜になって、動くたびに、肌が吸いついて、離れて、ぴちゃ、と小さい、濡れた音がする。その音が、雨の音と混ざる。

三回目の比較。先輩は、もっと遅い。焦らすみたいに遅い。この人は、まじめに、一定の速さ。ジムのランニングマシンみたい。

四回目。先輩は、あたしの手を握る。この人は、握らない。シーツの上で、あたしの手が、行き場をなくしてた。

だから、自分で握った。シーツを。洗ってない、一週間の匂いのする布を。指の関節が白くなるまで。

名前聞いてなかったから、呼べない。呼べないぶん、握った。

五回目。

床で、男のスマホが光った。

ぶ、ぶ、って。デニムのポケットから、青白い光が、天井に四角く跳ねた。男が、動きを止めた。止めて、首だけ、そっちに向けて。

手を伸ばした。

見た。

最中に。あたしの上で。片手で体を支えたまま、親指で画面をスライドして、何か読んで、ちょっと鼻で笑って、画面を伏せた。三秒くらい。たぶん男友達。たぶん「どう?」とか。あたしのこと聞かれてたのかもしれない。知らんけど。

「ごめん」
「いいよ」

いいよ、って言った。

言った口のまま、体のほうは、全然冷めてなかった。

ここがいちばん書きたくなくて、いちばん書かなきゃいけないところ。

男が、また動き出した瞬間、あたしの体は、さっきより深く応えた。スマホ見られて。三秒、放っておかれて。どうでもいい女として扱われて。その扱いに、体の奥が、ぎゅっと吸いついた。熱いのが溢れて、男の動きがなめらかになって、濡れた音が、ひとつ大きくなった。

惨めで、気持ちよかった。

惨めなのと、気持ちいいのが、別々にあるんじゃなくて、同じところから湧いてた。一個の蛇口から、お湯と水が同時に出て、混ざって、どっちか分からない温度になって、止まらない。

先輩に既読無視されたのより、こっちのほうが効いてた。こっちのほうが、正直だったから。この男は、あたしに何も約束してない。最初から。だから、裏切られようがない。

裏切られようがない場所で、あたしは、いちばんちゃんと声が出た。

かすれた、低い、会社の電話では絶対出さない地声。それが、喉の奥から、何回も漏れた。男の息が、耳もとで荒くなる。チューハイのレモンと、煙草。先輩の柔軟剤じゃない。全然違う。違うのが、もう、どうでもよかった。

給湯器に火が入るみたいに背中から一気に熱が来た。

ボッて。点火の、あの音がしそうなくらい。腰の奥から、背骨を駆け上がって、首の裏まで。背中が反って、マットレスから浮いた。太ももの内側が、自分の意思と関係なく、細かく震えだす。膝の裏に溜まってた汗が、すべって、シーツに落ちた。足の指が、勝手に丸まった。息で窓が曇って、街灯の光が、白くぼやけて一個になった。

そのとき一瞬だけ、雨の音が消えた。

消えて、戻ってきた。

男のほうも、すぐだった。息が急に詰まって、腕に力が入って、あたしの二の腕を、指で掴んだ。四本。強く。

それから、最後の最後で、男は体を引いた。

あたしにも、どこにも、何も預けない終わり方。それがこの人の、たぶん、いつものやり方。慣れてる手つきだった。あたしも、何も言わなかった。受け取らないし、受け取らせない。お互い、相手の人生のどこにも、何も置いていかない。

それで終わり。

ってことに、なってる。

男はティッシュの箱を、あたしの腹の上に置いた。ぽん、って。それから「ちょっとごめん」って、背中を向けた。三分で寝息。

あたしは、天井を見てた。

汗が、冷えていく。さっきまで熱だったものが、ただの湿り気になって、胸の上で、腹の上で、ゆっくり温度を失っていく。エアコンは暖房じゃなくて送風になってたらしくて、部屋が、どんどん寒くなった。カーテンレールのワイシャツが、まだ揺れてた。

自分で、始末した。

ティッシュを何枚も引き抜いて、暗い中で、手さぐりで。ユニットバスに行って、男のバスタオルで拭いた。半乾きの、生乾きの匂いがした。鏡の前で電気をつけたら、まぶしすぎて、自分の顔を見る前に消した。

……

外に出すのは、避妊じゃない。

それくらい知ってる。高校の保健の授業で、体育の先生が、黒板にでかでかと書いてた。「途中で離しても、その前から少しずつ出てる」。男子が笑って、先生が真顔で「笑い事じゃないぞ」って言った。あのとき笑わなかったあたしが、今、男の家のユニットバスで、便座に座って、スマホの生理アプリを開いてた。

最終日から十三日目。

アプリのカレンダーで、ピンクのマークがついてる日の、すぐ隣。

まあ、いいけど。

よくない。

始発まで、二時間ちょっとあった。

ベッドに戻る気になれなくて、床の、ラグもない、フローリングの上に、ドレスを羽織って座ってた。尻が冷たい。男は一回、寝返りをうって、「始発何時?」って半分寝ながら聞いた。「5時半」って答えたら、「そっか」って言って、また寝た。

見送る気は、最初からないやつ。いいよ。いらないよ。

4時50分、靴を履こうとしたら、ストッキングは足首のところで伝線してて、片方のヒールの中に、男の靴下が一個入ってた。黒の、つま先が薄くなってるやつ。どういう経緯でそうなったのか、まじで記憶にない。靴下を床に置いて、玄関を出た。

鍵、開けっぱなしで出てきた。閉めてあげる義理もないし、閉める方法もない。

二の腕に、知らない指の跡が四つ。

朝の駅のトイレ。昨日、壁を蹴った、たぶん同じトイレ。

鏡を見た。

マスカラが下まぶたに落ちて、目の下が黒い。髪は雨で固まって、ミルクティーベージュがうねって、根元の黒いところが、蛍光灯の下でいちばん目立ってた。ファンデが鼻の横で浮いてて、口紅は、とっくにない。

母に、似てた。

疲れてるときの、目つきがきつい、ひっつめた髪の、あの顔に。

普通に無理。普通に無理って、何回書けば足りるんだろう。

ドラッグストアは九時開店。駅前の、大きいほうの店。日曜でも、薬剤師さんがいる店。

始発で地元まで帰って、二十四時間のマックで四時間。ホットコーヒー一杯で。隣の席で、夜勤明けっぽいおじさんがポテト食べてた。あたしは引き出物の紙袋を足もとに置いて、スマホで「アフターピル 薬局 日曜」って検索した。今年の二月から、処方箋なしで買えるようになったって、ニュースで見てたけど、自分が使う日が来るとは、思ってなかった。

思ってなかった、は嘘。思ってた。たぶん、ずっと。

九時ちょうど、シャッターが上がるのを見てた。

カウンターで「緊急避妊薬を」って言ったら、声が会社の電話のときの、一段高いやつになってた。薬剤師さんは、あたしと同じくらいの年の女の人だった。左手に指輪。見た。最悪の特技、ここでも発動。

奥の小さい仕切りに通されて、紙に書いて、質問された。最後の生理の日。いつ。何時ごろ。体調は。

「何時ごろですか」
「……ゆうべの、一時くらいです」

ゆうべの一時、って口に出したら、急に生々しかった。名前も知らない男と、それが起きた時刻を、指輪してる知らない女の人に、申告してる。

薬剤師さんは、表情を一個も変えなかった。たぶん、変えないように訓練されてる。それが、ありがたくて、つらかった。

「卵が出るのを、後ろにずらすお薬です。もう出ちゃってたら、効かないこともあります。次の生理が来るまで、確実なことは分かりません。三週間たっても来なかったら、検査してください」

卵を、後ろにずらす。

なんか、ずるい言い方だなって思った。あたしの人生、ずっと何かを後ろにずらしてるから。リボとか。母との話し合いとか。先輩と別れるとか。

7千円台。カードで払った。リボのほう。

その場で、紙コップの水で飲んだ。薬剤師さんの前で。それが決まりらしい。小さい錠剤一個。喉を通るとき、なんの味もしなかった。ご祝儀三万、ドレス、ヒール、二次会の会費、それからこれ。昨日一日で、あたし、いくら払ったんだろう。

「お大事に」って言われた。お大事に。何を。

駅までの帰り道、引き出物の紙袋が、やたら重かった。

カタログギフトって、なんであんなに分厚いんだろう。バウムクーヘンの箱の角が、ふくらはぎに当たる。イニシャル入りのタオル。他人の幸せの重さ、物理で約二キロ。持ち手の紐が指に食いこんで、手のひらが赤くなった。

駅の階段の真ん中で、スマホが震えた。

先輩。

「昨日ごめん、気づかなかった」

既読つけといて、気づかなかった。朝の十時に。

返事しなかった。してない。まだしてない。たぶん今夜する。

……

既読つけて黙ってた先輩と、名前も知らない男と、ドレスのまま転がり込んだあたし。いちばん安いの、どれだと思う。

あたしだよ。知ってたが?

ちなみに、昨日いちばん高かったのは、あの白い錠剤一個。7千円台。あたしの一晩より高い。

で、これ書きながら、さっきコンビニで新作のプリン二個買ってきた。引き出物のバウムクーヘンもある。卵を後ろにずらしながら、卵の菓子食べてる女。草。

太るが? 知らんが?

生理、来てほしい。

恋愛病み夜の話

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コメント

みつき 2026-11-01
わかりすぎて無理。生きて帰ってきてえらい。靴下は供養しよ
ナオト 2026-11-01
その夜、いちばん損したのはあなたですよ。先輩の側は、何ひとつ減っていません。

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