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市民ブログ » パンの耳と夫の靴下

ぱんみみ

目覚ましをかけん夜

· カテゴリ: 家族・子育て

きのうの夜、夫が急に「記念日の前祝いしよや」って言い出して。入籍の日は22日で、まだ3週間も先やのに、「11月に入ったけん、もう記念の月やろ」やって。理屈がへらこい。けど、きょうはうちが休みやけん、目覚ましを4時にかけんでええ夜やったんよ。それだけで、もう半分うれしい。1年前のいまごろは、引っ越しの段ボールに埋もれて、ガムテープで指切って泣きよったのになぁ。

晩酌は缶ビールと、地酒を一合だけ。夫は2本目で耳まで真っ赤になって、スマホで結婚式の写真を見せてきて「このときのお前、52キロやったなぁ」て。いま言う? それ、いま言う!? 記念日の前祝いで体重の話する男が、どこにおるんな! ふざけんな! 毎朝体重計に乗って舌打ちしよる妻の気持ち、一回でも考えたことあるんか! 両方のほっぺたをつまんで引っぱったったら、「いまのほっぺのほうが好きや。パン生地みたいで」って真顔で言いよる。褒めとるんか、けなしとるんか。どっちにしても、あかん。これでまた許してしもた。うちは、ちょろい。

で、ほっぺから手ぇ離したら、夫が「ちょっと待っとって」って立って、冷蔵庫の野菜室をがさごそしだしたんよ。キャベツの奥から、アルミホイルかぶせたお皿が出てきた。うち、野菜室なんか毎日開けよるのに、キャベツの奥は見んのよなぁ。死角や。妻の死角をつく男。市役所でなに習いよるんやろ。

ホイルとったら、ケーキ。……ケーキ、やと思う。たぶん。

スポンジの高さが2センチない。せんべいの親戚。真ん中がへこんで、そこに生クリームが池みたいに溜まって、しかも分離してぼそぼそになっとる。いちごが5個、その池に沈没しよる。上にチョコペンで「1ねんめ ありがと」って書いてあるんやけど、「ありが」で場所が足りんなって、「と」だけお皿のふちにはみ出とった。

「日曜、お前が店行っとる間に焼いた」

あかん。もうあかんかった。うち、畳に転がって爆笑した。声が大きいのは生まれつきやけん、たぶん土手の向こうまで聞こえとる。笑いすぎてお腹の筋がつりそうになって、それでもパン屋の血が黙っとらんのよ。

「卵、ちゃんと泡立てた?」「泡だて器で10分」「粉入れてから、ぐるぐる混ぜたやろ」「よう混ざるように」「それや! それで泡ぜんぶ死んだんや!」「オーブン、先に温めた?」「……温めるもんなん?」

おとろっしゃ。この人、11年ぶんの家庭科、どこに置いてきたんやろ。生クリームはあったかい台所でずっと混ぜよったけん、バターになりかけとる。材料費、生クリーム398円、いちご598円。家計簿のどの欄につけたらええんな、これ。

ほんで、二人でフォーク一本ずつで食べた。味はね、ふつうに甘い。卵の味がよーけする。ぼそぼそのクリームを夫の口に運んだら、手元が狂うて、黒縁の眼鏡のレンズにべちゃってついた。夫、片目クリームのまま「うまいなぁ」って言いよる。うち、また笑いながら、ティッシュでレンズ拭いてやって、拭きよったら、なんか鼻の奥がつんとしてきて。笑いすぎかと思たら、ちゃうかった。オーブン温めることも知らん人が、うちのおらん日曜の朝に、ひとりで台所に立っとったんかと思ったら、もう。ほんまに、ずるい。

電気を消したら、カーテンの隙間から街灯の光が一本だけ畳の上に落ちてきて、枕元に置いた夫の黒縁の眼鏡が、ちかっと光った。布団の中で手を伸ばしたら、夫の腕は、発酵の終わりかけの生地みたいに温かくて、指が沈むくらい柔らかい。いつも眠そうな人の息が、耳のすぐ横で、少しずつ速くなっていく。うちのがさがさの指を、一本ずつほどいて、夫の親指が、指先のひび割れのとこを、ゆっくりなぞっていった。冬が近いけん、もう人差し指の横がぱっくりいきかけとる。そこで親指が止まって、そのまま、手首のほうへ上がってくる。

右手首は、よけていった。腱鞘炎のほう。ちゃんと覚えとるんよ、この人。そのかわり、前腕の、天板で焼いた二つの痕のとこに、唇をつけた。小さいのと、ちょっと大きいの。

「これ、名誉の負傷やけん」
「知っとる」

知っとる、て。それだけ。それだけで、腕の内側の、日に焼けとらん白いとこから、ぞわぞわーっと何かが肩のほうへのぼってきた。うちの体、言葉より先に返事しよる。

ほんで、ここで、恥をひとつ書いとく。うちな、パジャマの下に、腹巻きしとったんよ。11月入ったら腹巻き。母ゆずりの冬の装備。しかも下はヒートテックで、肘のとこに穴があいとるやつ。夫の手がパジャマの裾から入ってきて、腹巻きのゴムにぶつかって、「……なんや、これ」って。暗い中で、ほんまに不思議そうな声で。

「冬の装備や」
「装備」
「ほっといて」

夫がそれを下に下ろしていこうとしたら、腰は通ったのに、ふくらはぎで止まった。きのう一日立っとらんのに、なんでかむくんどるうちのふくらはぎに、腹巻きが、輪っかのまま引っかかっとる。足首まで下りん。夫が引っぱる。うちが足をばたばたさせる。腹巻きは動かん。二人とも、もう声が出んくらい笑うた。最終的に、うちが自分で足から抜いて、ぽいって部屋の隅に投げた。色気とは、遠いところにある女やと思う。

夫は夫で、靴下を脱いで、投げた。街灯の光の中を、裏返しのまま飛んでいった。この期に及んで裏返し。もうええわ。いや、よくない。けど、いまは、ええ。

(書きながら、なんでこんなことまで書きよんやろって、ほっぺがあつい。ほっぺはパン生地やけん、よう膨らむ)

くちびるは、ケーキの味がした。卵と、チョコペンと、地酒のちょっと辛いとこ。夫は最初、いつも探るみたいに、ちょん、ちょんって確かめにくる。うちが焦れて、夫のくせ毛を両手でつかまえて引き寄せたら、そこから急に、遠慮がなくなった。下くちびるを、やわく、はさまれる。舌先が、うちの前歯の裏を、なでていく。口の中がとろとろにほどけて、くちびるの端からひとすじ、あごのほうへ伝っていった。伝ったとこが、夜の空気に冷えて、そのひやっとしたとこを、今度は夫の舌がさかのぼってくる。

首すじ。耳の下から、のどぼとけの横を通って、鎖骨のへこみまで。夫の唇が通るたびに、うちの喉が、勝手に、ごくんって動く。それを夫が、唇で確かめよる。確かめられとるのがわかって、またごくんってなる。鎖骨のへこみに、うちのちょっとした汗の粒がたまっとって、そこを吸われたとき、思わず敷布団のへりを握りしめた。

背中に、てのひらが回ってきた。肩甲骨のあいだから、背骨の谷を、ゆっくり降りて、腰のくぼみで、ぺたっと止まる。止まったまま、じっとしとる。

あ、これ、と思った。うちが毎朝、二次発酵の生地にてのひら乗せて、温度と張りをみるときと、おんなじ手つきや。まだか。もうちょいか。いま、か。それを、夫に、されよる。されよるほうになると、こんなに、たまらんのか。

太ももの内側を、指の腹で、そっと押された。押されて、ゆっくり、戻る。パン屋は、指で生地を押して、ゆっくり戻ってきたら焼きどき、って言うんよ。すぐ戻ったら、まだ若い。戻らんかったら、行き過ぎ。夫はそんなこと知らん。知らんはずやのに、その押し方が、ちょうどよすぎて、うちは、自分がいま焼きどきやって、わかってしもた。

膝の裏に手が入って、脚を持ち上げられる。ふくらはぎから足首まで、夫の手のひらが、なで下ろしていく。むくんどるとこを、親指でぐっと押されて、「い、いた、きもちいい」って変な声が出た。マッサージか。でも、マッサージやったのはそこまでで、足首の内側の骨のでっぱりに唇がきたとき、それはもう、ちがうもんになっとった。

肌と肌が、くっつくたびに、離れたがらん。加水の多い生地が、ボウルのふちにぺたっとはりついて、ゴムべらでこそげんと離れんみたいに。夫が体を動かすたびに、おなかとおなかのあいだで、ぬち、って、小さい音がする。

ほんで、うちの奥のほうで、ゆるんでいくもんがあった。一次発酵の終わりぎわ、ボウルの中で、生地がもうこれ以上はふくらめんくらい柔らかなって、かぶせた布巾を内側から押し上げて、つついたら、とろっとこぼれそうになっとる、あの感じ。ぬくくて、甘酸っぱい酵母の匂いがして、指を入れたら、どこまでも沈んでいきそうなやつ。それが、うちの中で、ふつふつ起きて、止まらんで、とろとろ、あふれてくる。夫の指がそれに触れて、暗い中で「……ほうか」って、いつもの口癖を、いつもとちがう声で言うた。

窓のサッシが、内側から、下のほうだけ白うなっとった。平屋の古い窓やけん、すぐ結露する。あした拭かな、とは、今回は思わんかった。成長や。

夫がうちの上に戻ってきて、うちの前髪を、指でよけた。眼鏡がない夫の目は、ちょっと焦点が合うとらんで、そのぼやっとした目で、うちを、まっすぐ見よる。

9月に、銀行でローンの相談した帰り、近所のうどん屋でかけ食べながら、夫が「引き出しの箱、もう買い足さんでええかもな」って、ぼそっと言うたんよ。うち、釜玉の卵を混ぜる手が止まって、「……ほうやな」って、それだけ返した。それから、引き出しの箱は、空のまんま。

やけん、きのうの夜は、枕元に、なにもない。なにもないのが、うちらの決めたことやった。

夫が、ゆっくり、うちのなかへ、おさまってきた。

のどの奥で、声が、つっかえた。つっかえて、ほどけた。夫は、すぐには動かんで、うちのこめかみに鼻をうずめて、じっとしとる。うちの中で、夫のかたちが、ゆっくり、なじんでいく。焼き型に流しこんだ生地が、すみっこまで行きわたっていくみたいに。

ほんで、ゆっくり、揺れはじめた。

畳の上の布団やけん、ベッドみたいに軋まんかわりに、古い床が、みし、みし、って、遠いとこで返事しよる。街灯の一本の光の中に、夫の肩が入って、出て、入って、出る。壁に、二人ぶんの影が、ひとかたまりになって、ゆらゆらしよる。うちは夫の背中に腕を回して、背骨の両側の、ちょっと肉のついたとこに、指を食いこませた。お腹も、ちょっと出てきたなぁ。うちと一緒に晩酌しよるけん。共犯や。

ゆっくりやったのが、だんだん、深うなる。うちの声が、だんだん、高うなる。キレたときの一段高い声とは、ちがう高さ。自分でも聞いたことない声が、のどの奥から、勝手にこぼれてくる。

そのときやった。

ジリリリリリリリリリ!!!!!

枕元の、夫の目覚まし時計。義母が「実家のやつ、持っていき」って押しつけてきた、ベルが二つついた、昭和の銀色のやつ。それが、夜の11時12分に、家じゅう震えるくらいの音で、鳴りだした。

二人とも、固まった。

ほんまに、固まった。夫はうちの上で、腕立ての途中みたいな格好のまま、目ぇまんまる。うちは夫の背中に爪立てたまま、口あけとる。時計だけが、ジリリリリって、元気よく鳴りよる。

「と、止めて!」
「どこ!」
「枕元!」

夫が、うちから離れんまま、腕だけ伸ばして、ばたばた探る。眼鏡ないけん見えとらん。手が水のコップに当たって、倒れて、畳がびしゃっと鳴った。時計は、ベルの振動で、ころころ、うちらから遠ざかっていく。夫の指が、やっと時計をつかまえて、裏のスイッチをばちんと下ろした。

しん。

「……なんで鳴るん」
「6時半にしたつもりやった」
「あした、文化の日やで」
「……ほんまや」

あかん。うち、また笑いがこみあげて、笑うたびに、お腹がひくひくする。ひくひくするたびに、それが、そのまま夫に伝わるわけで。夫が「ちょ、それ、反則」って、うちの肩に顔うずめて、うめいた。わろた。わろたけど、笑いがおさまっていく途中で、なんでか、さっきより、ずっと、ふたりの境目が、わからんなっとった。

(一瞬だけ、合鍵持っとる義母が、いまの音で駆けつけてきたらどうしよう、って想像して、背中がひゅっと冷えた。来るわけないのに。合鍵、ほんまに返してもらお)

また、揺れはじめた。こんどは、さっきより、遠慮がない。

うちの体の奥のほうで、オーブンの予熱のランプが、180、200、210って、じりじり上がっていくのがわかる。肌のいちばん内側から、こんがり、焼き色がついていく。耳たぶまで、つま先まで。夫の手が、うちの手を探して、指をからめてきた。がさがさの指と、ペンだこのある指が、関節と関節で、ぎゅうっと噛み合う。濡れとって、すべって、また握りなおす。

「もう、あかん」って言うたつもりが、ちゃんとした言葉になっとらんかった。

背中が、勝手に反った。布団から腰が浮いて、ふくらはぎにぎゅっと力が入って、足の指が丸まる。目をつむっとるのに、まぶたの裏が真っ白になった。天板をオーブンから引き出した瞬間、顔にぶわっと吹きつける、あの焼きたての、甘い、焦げる手前の匂い。あれが、頭のてっぺんから足の先まで、一気に通り抜けていった。夫の名前を、呼んだ。ブログには書かん、あの名前を。何回も。

夫の腕が、ぷるぷるしだした。この人、腕立て3回でへばる人やけんな。息が詰まって、うちの髪に顔をつっこんで、「……ええか」って、聞いてきた。

ええよ、って言うかわりに、うちは、夫の腰に脚をまわして、ぎゅっと引き寄せた。逃がさんかった。逃がす理由が、もう、どこにもなかったけん。

夫の体が、大きく一回、ふるえた。それから、何回か、小さく。うちの中で、夫がほどけていくのを、ぜんぶ、うちが受けとった。預かった。夫は、うちの肩に額をのせて、長いこと、動かんかった。

重い。

うちが毎朝かつぐ強力粉の25キロ袋、二つと半分ぶん。重いけど、どけたくない重さ。夫の背中に、ひとつぶ、汗が光って、それがゆっくり冷えていくのを、てのひらで感じとった。さっきまで、オーブンの中みたいやった体が、窓の結露と同じ温度に、じわじわ戻っていく。

夫が横にずれて、手さぐりでティッシュの箱を探して、さっき倒したコップの水たまりに、箱ごとつっこんだ。ふにゃふにゃになったティッシュを持って、「……これ」って差し出してきたとき、うちはもう、声も出んくらい、ふるえて笑うた。爆笑。乾いとる下のほうから、なんとか何枚か引っぱり出した。

すぐ起きたら、なんかもったいない気がして、うちはしばらく、膝を立てたまま、天井見とった。

ほんで、脚を伸ばそうとした瞬間。

ふくらはぎが、つった。

「いっ、たたた、つった、つったつった!」

夫が、半分寝ぼけたまま起きあがって、うちの足の指をつかんで、ぐいーっと、すねのほうへ曲げてくれた。裸で。真顔で。それ、市役所の救命講習で習うたん? 足の裏を押されながら、うちは、痛いのと、可笑しいのと、ありがたいのとで、ぐちゃぐちゃの顔になっとった。

足がおさまって、二人で布団にもぐって、夫の脇の下に頭を入れた。夫の胸が、ゆっくり上がって、下がる。

女の体温って、月の真ん中を過ぎたら、一段、ぽこっと上がるんよ。誰かが発酵器のダイヤルを、勝手に回したみたいに。うち、9月から、朝3時半に起きたらすぐ、体温計を口にくわえて記録しよる。生地の温度計るのと、おんなじ顔で。アプリによると、いまはちょうど、その段の上がる手前。ど真ん中。

それを、夫は知っとるんか知らんのか、天井見ながら、ぼそっと言うた。

「子育て支援課の窓口な、きょうも赤ちゃん来とったわ。ほっぺが、お前そっくりやった」
「……どこの子でも、ほっぺはふくらんどるやろ」
「来年の記念日、三人かもしれんなぁ」

知らんがな! って言うた声が、ひっくりかえっとった。顔があつうて、布団を鼻の上まで引っぱりあげて、「それより、水曜の仕込みな、いりこの塩パン、加水ちょっと上げてみよかと思て」って、ぜんぜん関係ない話をした。

「ほうか、ほうか」

夫は、うちの髪をなでながら、3分で寝た。部屋の隅で、裏返しの靴下と、輪っかのまんまの腹巻きが、街灯の光の中で、仲よう並んどった。うちは起きて、靴下を、表に返した。きのうだけは、特別。

ほんで、けさ。休みやのに、3時28分に目がさめた。体が勝手に起きる。パン屋の体、休み方を知らん。夫は口あけて寝とる。寝ぐせが、くせ毛と混ざって、鳥の巣。

冷蔵庫の野菜室の、キャベツの奥から、きのうの残りのケーキを出した。せんべいスポンジと、ぼそぼそクリームと、沈没いちご。それを、店から持って帰っとったパンの耳と一緒に、卵と牛乳にひたして、耐熱皿に詰めて、オーブンで焼いた。もちろん、ちゃんと、温めてから。

パンプディングになった。めっちゃおいしい。チョコペンの「と」だけ、焼けても、ちゃんと残っとった。

6時半に、夫が起きてきて(自分で起きた。目覚まし、あの人の頭の中にも入っとったんやな)、「これ、きのうのケーキ?」って、2回おかわりした。ほな、まあええわ。食べ物は、粗末にせんのが、うちの家の決まりやけん。

22日の本番は、うちが焼く。オーブンの温め方から、ちゃんと教えたる。あと、あの目覚ましは、電池抜いた。ほんまに。

夫夜の話晩酌

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