母の湯のみを、まだ使っています
今日は火曜日で、朝から雪でした。病院へ向かう道は、車の音まで雪に吸われたように静かで、いつもより少しゆっくり走りました。
外来の休憩室で、お茶を淹れるときに使っているのは、母の湯のみです。実家を片づけたときに、持って帰ってきたものでした。うす緑の釉薬がかかった、手のひらにすっぽり収まる小ぶりなもので、口のところに小さな欠けがあります。母は、欠けたまま何十年も使っていました。新しいのを買えばいいのに、と言うと、「口に当たらない側から飲めばいいの」と笑っていました。
今日も、その欠けを避けて、反対側から飲みました。気づけば、母と同じ飲み方をしています。両手で包んで、湯気を少し見てから、ひと口。背中が丸くなるところまで似てきたようで、廊下のガラスに映る自分に、思わず苦笑いをしました。
母が亡くなって、もうすぐ二年になります。急に涙が出る日は減りました。かわりに、こんなふうに、ふとした仕草のなかに母がいることに気づきます。外は雪が降りつづいていますが、この湯のみを両手で包んでいると、指先からゆっくりあたたまります。
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