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あの会社の求人欄が、三件に増えました
今夜は堤防を四十分ほど歩いてまいりました。金木犀はすっかり終わってしまい、風には枯れかけた草の乾いたにおいが混じっていて、手袋を忘れたことを、歩き出して一番最初の五分で後悔いたしました。帰ってから編みかけの靴下を三段だけ進めましたが、荒れた指先の皮が毛糸に引っかかって、思うようには進みませんでした。
わたくしの毎晩の楽しみは、元の職場の求人欄を開くことでございます。今月に入ってから、経理と物流で合わせて三件。去年の同じ月は一件でしたから、三倍ですこと。人がお辞めになっているのですね、わたくしのあとも、そのまたあとも、順番に、ゆっくりと。募集の文面に「風通しのよい職場です」とあるのを見つけた夜は、麦茶を噴き出しそうになりました。風が通るのは、あの課長の頭頂部くらいでございましょうに。ふふ。
あの課長は、二〇一九年から、わたくしが休職するまで、接待ゴルフの費用を別項目に付け替えさせておられました。わたくしの手で処理した伝票が三十一枚。差し戻すたびに唾を飛ばして早口で叱られ、ミントのタブレットのにおいを浴びながら「大卒のくせに」と言われた日付も、手帳には残してございます。伝票の写しは三十二ページ目に挟んで、年度末の監査まで、あと百五十五日。そういえば、通販会社の個人情報の漏えいが数百万件だそうですけれど、あの課長は取引先の請求書を、鍵もかけない引き出しに入れたままにしておられた方でございますから、守る気のない人が守っている会社が、いつまで保つのかしら。
監査の日の会議室を、毎晩、少しずつ違う形で思い描いております。最初は静かなものでございます。監査の方が伝票の写しを机いっぱいに広げ、課長の額に汗が浮き、毎朝二十分かけて固めた髪の整髪料が溶けて、薄い頭皮の上を茶色い筋になって流れていく。それだけで、わたくし、布団の中で息が上がってしまいます。ところが夜が深くなるにつれ、想像は静かなままではいられなくなりまして。
堤防の下の暗がりに、あのクソ課長を座らせます。口にはミントではなく河原の泥を詰めて、最初に折るのは、ゴルフクラブを握ってきた右手の指でございます。一本ずつ、関節の向きと逆に倒していくと、枯れ枝を踏んだようなぱきりという音がして、ほんの少し遅れて、獣のような声が泥の隙間から漏れてまいります。膝を砕かれて地面を這い、ズボンの股のあたりが黒く濡れて、温かいアンモニアのにおいが立ちのぼるのを、わたくしは風上から眺めております。許してください、許してください、と涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして言うのでしょう。三十一枚、とわたくしは答えます。一枚ごとに、一本ずつ、足りない分は肋骨で。
そのまま襟をつかんで川の浅いところへ引きずっていき、顔を水に沈めます。泡が上がって、暴れる腕が水面を叩いて、数えて十五で引き上げると、咳き込んで、昼に食べた味噌カツと胃液を一緒に吐きます。酸っぱいにおいと、血の鉄の味と、冷たい水の音。もう一度沈めます。引き上げます。沈めます。夜間短大卒の引け目を人にぶつけることでしか立っていられなかった五十二年の人生が、わたくしの手の中で、ごぼごぼと小さな泡になって消えていく。妻の実家の縁で拾われただけの、中身のない空っぽの男。部下の手柄は自分の名前に、自分のミスは部下の名前に、あなたの人生こそ、いちばん大きな付け替えでございましたこと。残高は、ゼロです。
宇野さんも、吉倉も、梶間も、順番に並べてございます。貸付制度で首が回らない見栄っ張りの先輩には、規程を一条ずつ読み上げてあげたいですし、二重あごを育毛剤で隠している元恋人には、立て替えた四十七万円のうち戻ってきたのは十二万円で、残りの三十五万円は利息つきで、と静かにお話ししたい。受験しただけの資格を履歴書に書いた後輩には、手編みの、サイズの合わないものを。ここまで書いて、貯金が月に十万円ずつ減っていくのを横目に、他人が沈むのを毎晩楽しみに待っている三十三歳の自分が、いちばん浅ましくて、いちばん笑えます。それでも、やめません。
会社が潰れる日には、窓を開けて、冷えた缶チューハイをいただきます。課長が膝をついて泣きながら再就職先を探すさまを、肴にして。ふふ。
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